もっと公平にスピード違反を取り締まる方法

久しぶりに、スピード違反で捕まってしまいました。例のごとく、見通しのよい直線道路でのことです。

皆さんそうだと思いますが、スピード違反で捕まると、『反省』よりも『独特な怒り』がこみ上げてきます。怒りの根源は、「ほぼ事故が起こりそうにない場所でネズミ捕りをすること」や「平均速度ではなく、一瞬のスピードを計測すること」などがあるでしょうが、なんと言っても「ほかにもたくさんスピード違反者はいるのに捕まっていないこと」でしょう。

個人的には「時速10Km以下では捕まらないこと」も大嫌いです。60キロ規制の道路の場合、70キロで捕まらないなら、73キロだったら3キロしかオーバーしていないはずですが、実際には13キロオーバーになります。

自分が運転している時にスピード違反している車を見つけたら、スマホ動画で撮影して警察に密告したくなります。一般市民の密告システムが認められれば、どこで監視されているかわかりませんので、警察官の増員なしに(密告者の一般市民さえいなくても)確実に違反車は減ると思いますので、いいアイデアと思いますが、『公平』という意味では少し問題は残るでしょうか。

何とか公平に取り締まる方法はないものでしょうか。高速道路に関して言えば、現在なら、ETCとETCの間の時間で平均時速がわかりますので、これが時速100キロを超えていたら、違反はあきらかですから捕まえられるはずです。ETCなので、その場で罰金を徴収すれば手間も省けますね。一般道路でも、ポイントポイントに『カメラ』を配置すれば、同じように取り締まることができるでしょう。

監視カメラは現代の“街の安全”に多大な役割を果たしています。カメラの存在によって犯人がわかった事件はたくさんありますし、さらに自動識別機能が進化すれば、警察官を大幅に減らせるかもしれません。

もっと言えば、新しい自動車には、義務化された標準装備として『スピード違反自動送信機能』などというのもできるかもしれません。スピード違反状態が一定時間続いたら、自動的に警察に報告されるシステムです。反対は多いでしょうが、公平は公平です。

 

『機械化』は『効率化』だけではなく『公平化』ももたらすように思われます。

今の日本の裁判では、裁判官によって『判断』が異なります。医療の世界でいうと胸部レントゲン検診においても、異常が指摘されるかどうか見る人によって異なります。それどころか、同一人物においてもそのときの心理状態によって、『判断』が異なります。裁判もレントゲンの判定も、機械にさせたほうがいい時代がもう既にきているように思われます。

。昔、検事が主役のテレビドラマで、「人間を裁けるのは人間だけ」との台詞がありましたが、最近の裁判や検察の事例をみると、「人間を“公平に”裁けるのは機械だけ」のようです。

 

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