小選挙区制は普通に考えれば憲法違反だと思うのですが‥

 今の政治の“劣化”の元凶は『小選挙区制』にあると、多くの人が指摘しています。「3割しかない票数でも8割の議席数を占めてしまい、民意が反映されない」「党首のイエスマンしか立候補できず、党内の議論が深まらない。」「2者択一なので、質の悪い政治家でも当選できる。」等々の理由が挙げられています。

 ご存知通り、現在の『一票の格差』は憲法違反との司法判断がありますので、それをいうなら、そもそも小選挙区制自体、憲法違反のはずです。『小選挙区制では一票の格差が絶対に0にはならない』からです。

 

 小選挙区制そのものの違憲性を問う裁判がなかったのか、調べてみると、平成11年11月の最高裁判決があり、これが大きなポイントとなっているようです。このときの最高裁判決は『小選挙区制は合憲』で、その理由は詳細に書かれていますが、抜粋して紹介します。

~ 衆議院議員選挙制度の仕組みの具体的決定は、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、国会の裁量にゆだねられているのであり、国会が衆議院議員選挙の一つの方式として小選挙区制を選択したことについても、このような裁量の限界を超えるといわざるを得ない場合に、初めて憲法に違反することになるのである。 ~

国会で決めた以上、よっぽどのことがない限り『違憲』とはならないということのようです。昔社会の授業でならった『裁判所の違憲立法審査権』は完全に放棄されています。それと、その国会議員の選び方に関する問題なので、“国会まかせ”ではいけないように思います。

~  ‥選挙区割りを決定するに当たっては、議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることが、最も重要かつ基本的な基準であるが、国会はそれ以外の諸般の要素をも考慮することができるのであって、‥ ~

『“最も重要かつ基本的な基準”以外の要素を考慮していい』というのは、この時点で矛盾した話だと思います。しかも、国会はそれができるというのは、誰がいつ決めたのでしょうか。ちなみに『それ以外の要素』というのは「県・地方」的なことのようで、「地方の県から代表を出すために、1票の格差もやむをえない」と内容のようです。(よく読みましたが、ちゃんとこう書いてあるところはありませんでした。「たぶんこういうことなんだろう」程度にしか理解できない、とにかく難解な文章でした。)

~ このように抜本的改正の当初から同条1項が基本とすべきものとしている2倍未満の人口較差を超えることとなる区割りが行われたことの当否については議論があり得るところであるが、右区割りが直ちに同項の基準に違反するとはいえないし、同条の定める基準自体に憲法に違反するところがないことは前記のとおりであることにかんがみれば、以上の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、一般に合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまではいうことができず、本件区割規定が憲法の選挙権の平等の要求に反するとは認められない。 ~

「議論があるところだが」から「直ちに同項の基準に違反するとはいえない」につながる理由がありません。「右区割りが直ちに同項の基準に違反するとはいえない」も、「同条の定める基準自体に憲法に違反するところがない」も、「一般に合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまではいうことができず」も、いずれも理由のない“決めつけ”によるものです。役所の文書でしばしば見る言い回しですが、『論理的説明』になっていません。

 

 このように結論は『合憲』なのですが、これに対して5人の最高裁判事が反対意見を述べています。もっとも強烈に反対しているのが、福田博裁判官で、その反対意見も同時に掲載されています。

~ 二 国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織された国の機関であり、国権の最高機関である(憲法41条、43条)。国権の最高機関たる理由は、国会の決定は、国民全体の中の意見や利害が議員の国会活動を通じて具体的に主張されこれを反映した結果である公算が極めて高く、いわば国民全体の自己決定権の行使の結果とみなし得るからである。すなわち、全国民が平等な選挙権をもって参加した自由かつ公正な選挙により自らの代表として選出した議員で構成されていることこそが、憲法の定める国会の高い権威の源泉なのである。憲法は、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は法律でこれを定めるとしている(47条)が、そのような法律を策定する際に認められる国会の裁量権は、当然のことながら、憲法の定めるいくつかの原則に従うことが前提である。法の下の平等により保障される有権者の投票価値の平等の原則(以下「平等原則」という。)に従うことはそのような前提の一つであって、事務処理上生ずることが不可避な較差など明白に合理的であることが立証されたごく一部の例外が極めて限定的に許されるにすぎない。平等原則は、秘密投票の保障(15条4項)など、自由、平等、公正な選挙を確保するために憲法が定める他のいくつかの原則と同様に重要なものであって、選挙区、投票の方法など国会議員の選挙に関する事項を法律で定める際には、当然かつ厳格に遵守されるべきものである。それが理想論ではなく十分に実現可能なものであることは、代表民主制を有する諸外国の近年における動向を見ても明らかである(後記9参照)。 
三 平等原則は、全国の選挙人数を議員総定数で除して得た数値を基準値として、この基準値ごとに1人の議員を割り当てることにより最もよく実現される。このことは、小選挙区中選挙区比例区すべてに当てはまる。もし、過疎の地域にもその地域からの議員選出の機会を与えたいというのであれば、それは、その実現方法が他の地域について平等原則を満たす場合にのみ許される。例えば、過疎の地域に代表を選出する機会を与えるために、過密の地域に対し割り当てられる議員定数を人口比に見合って増加するのも一つの方法である。議員の総定数を固定したままで「過疎への配慮」を行うことは、すなわち「過密の軽視」に等しく、それはとりもなおさず、有権者の住所がどこにあるかで有権者の投票価値を差別することになる。そのような差別は、身分、収入、性別その他を理由として一部の有権者に優越的地位を与えた過去のシステムと基本的発想を同じくするものであって、憲法の規定に明らかに反し、近代民主制の基本である平等な投票権者による多数決の原理をゆがめることとなる。 ~

 大変気持ちのいい文章です。見事な論旨であると思います。日本にもこのような最高裁判事がいたのですね。(残念ながら福田判事は2005年に退官されています。)

とくに、『平等原則は、全国の選挙人数を議員総定数で除して得た数値を基準値として、この基準値ごとに1人の議員を割り当てることにより最もよく実現される。』は、公平な選挙の原則だと思います。福田判事は「一票の格差がたとえ1.1倍でも違憲」と考えておられたつまり、「小選挙区制は違憲である」との判断だと思われます。

 

 私は法律の専門家ではありませんが、もうひとつ小選挙区制の重大な憲法違反だと思うのが、『選挙区外の候補者に投票できない』ことです。国会議員を選ぶのですから、九州から東京の候補者に投票してもいいはずです。昔、堀江貴文氏が広島で立候補された際に、『ぜひ国会に送りたい人』に投票できない苛立ちを感じたものです。

 なので、私は『全国区』選挙の復活を提案します。ただし、ただの全国区ではダメです。『平等原則は、全国の選挙人数を議員総定数で除して得た数値を基準値として、この基準値ごとに1人の議員を割り当てることにより最もよく実現される。』とおっしゃった、福田判事のいう公平性にかけるからです。

 およそ20万票の支持で“一人”当選する場合、100万票とった人が“ただ当選するだけ”なら、80万票は『死票』となります。100万票とった人は“5人分当選”とするのが公平です。“5人分当選した人”は、比例代表制のように、名簿順に自分の『子分』を国会議員にできます。こうすると、国民が真に期待する人が、国会の中で支持する国民の数に比例して“数の力”をもつことができます。これが国会活動での最小グループとなります。

 政党が完全に支持者の考えにあう行動をしてくれれば、完全比例代表制でもいいのでしょうが、残念ながら現状そうはなっていません。そもそも6つや7つのグループで、全国民の考えを集約できるはずはありません。現状では『党』より『人』が信頼できます。もちろん、希望する人は『政党名』を書いてもかまいません。その場合でも、20万票あたり1名を党の名簿順に決めることになります。ついでにいうと、『20万票未満の票では当選できない』わけですから、おそらく国会議員の数も減って、さらにいいかもしれません。

 選挙制度は民主主義の根幹です。公平な選挙制度の実現は、その意味でもっとも大事な政治課題だと思うのですが、これを党の公約としているのは共産党だけです。選挙制度を変えるには、国会議員の構成が大きく変わるか、最高裁判決が『小選挙区制そのものを違憲』と変わるか、どちらかが必要で、現状では残念ながら、どちらも難しそうな感じです。

 民主党政権の最終局面、当時の野田総理が解散を発言した際、次の惨敗がわかっていながら選挙制度を変えようとしなかったことが、返す返すも残念です。

 公正な選挙制度として、以下の会派を呼び掛けています。ご賛同いただければ幸いです。

インターネット政党(会派)≪公正選挙を実現する会≫

インターネット政党 ≪日本理晢党≫

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