あおり運転死亡事故の裁判・判決で感じる違和感

 東名高速道路でのあおり運転による死亡事故の判決は、「懲役18年」となりました。個人的には「高速道路上で人の車を停止させたこと」が懲役18年に相当するとはとても思えません(刑は重過ぎると思います)が、「軽すぎる」という声もいまだ多いようです。

 この事件については裁判の段階からいろんな報道がされていましたので、実際の「裁判・判決」について、多くの情報が得られました。その中でいくつか気になった点を書きます。

◎17歳長女の手紙と証言

 公判中に、遺族となった被害者ご夫婦の娘さんの手紙が読み上げられたそうです。その文章も報道されていました。正直に言うと、一部の言い回しがとても公文書っぽく、だれかが手を加えているのではないかと疑いました。「手紙」は裁判の「証拠」として読まれたもののようですので、わずかでも手を加えたら、証拠の捏造です。

 そもそも、遺族の感情を裁判の材料にするのは、問題があると思います。遺族がつらく悲しく、その原因をつくった人を厳しく罰してほしいのは当たり前です。『反省しているかどうか』も量刑とは関係ないと思います。反省しているかどうかはわかりませんし(明らかにしていない場合はわかりますが)、反省は懲役刑の間にするものです。

 報道で知るだけですが、この長女の証言で気になることがあります。後ろからトラックが衝突した瞬間についてなのですが、「突然、ドーンと‥(詳細は覚えていません。記録を検索しましたが見つけきれませんでした。)」の部分です。急ブレーキの音もしていませんし、クラクションなどもなっていないようです。後方のトラックの前方不注意の可能性がありますが、それについてはまったく報道されていません。一部では追突した側のトラックの運転手が“被害者”のような報道もなされているのには、違和感を感じます。

裁判員の言葉

 この判決にかかわった裁判員の多くは、「もっと重い刑罰にしたかった」「被害者側に寄り添ってしまいたくなる」「法律に問題がある」という気持ちだったようです。やはり、裁判員裁判は刑事事件には向いていないようです。(裁判員裁判が重大刑事事件だけで実施されているのは、『素人が人を裁くのは難しいことをわからせ、これ以上素人を司法に参加させない』ためだと思っています。)あおり運転は重大な犯罪ですが、懲役18年の判決は、世論に流され、感情に流され、冷静さを欠いた裁判の結果のように思われます。

 裁判の場面はテレビでしか見たことはありませんが、それでもあの独特の雰囲気は、慣れていない人が平常心でいるのはかなり難しそうです。高い壇上にどこか宗教的な衣服の裁判官がいて、難しい言葉が飛び交って、目の前に凶悪犯がいて‥。裁判員ももちろん、証人も、あるいは経験の少ない検事、弁護士、裁判官も、冷静な判断や発言は難しいのではないでしょうか。

 昔、『リーガルハイ』というドラマがありました。ほとんどの裁判において、多くの人がまさに『リーガルハイ』の状態でおこなわれていると予想されます。大事な判断であればあるほど、『普通の会議室で、暖かい飲み物とお菓子があるなかで、ゆっくり話し合う』ほうがいいのかもしれません。

 

 ついでに‥。

 あおり運転でいつも思い出すのが、『パトカ―の追跡』です。追っている側の意図はもちろん違いますが、追われている側にしては“あおられている”のと、結果的には同じではないかと思うのです。死亡事故も実際に起こっています。以前にも書きましたが、『パトカーでの追跡』は即刻やめたほうがいいと思います。

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