神戸の児童連続殺傷事件の記録を神戸家庭裁判所が廃棄していた問題で思うこと

 神戸の児童連続殺傷事件の記録を神戸家庭裁判所が廃棄していたことが問題になっているそうです。「一般的な少年審判の記録は少年が26歳に達するまで保存するが、史料または参考資料となるべきものは保存期間満了の後も保存しなければならない」となっているそうです。

 ニュースでは最高裁判所が「適切でなかった」と謝罪したそうです。人を裁く立場の人(地方の裁判所職員)が“決まりを破った”としたら、そんな程度では許されません。そして今日のニュースでは、またまた『検討会を立ち上げる』とのムダなガス抜きをするようです。保存したいならそうすればよいだけです。

 『永久保存すべき基準』が曖昧なので、廃棄した地方の裁判所に落ち度はなさそうですが、実は最高裁判所は通達で、▼世相を反映した事件で史料的価値の高いもの、▼社会の耳目を集めた事件、▼少年の非行に関する調査や研究の重要な参考資料になる事件などについては、必要と判断した場合は原則、永久保存するよう指示しているそうです。これを読むと、なるほど神戸の事件は永久保存すべきですが、逆にどの事件なら記録を廃棄できるか、結局線引きの基準はあいまいです。

 そもそも仮に永久保存さえていたとして、その資料が必要となることはあるのでしょうか。当然、みんなが見ることができる資料ではないでしょう。見ることができてかつ見たい人やみる必要がある人はとっくに見ています。誰かが「久しぶりにまた見たくなった」と言うのでしょうか。

 将来的にはこのような記録を見ることができる人の範囲を広げることを考えているのかもしれません。「この資料を読めば、少年の重大犯罪を減らせる」誰かを待っているのでしょうか。そうであればその議論をすべきで、ただ“保存”して待っていても何にもなりません。『資料が再発防止に役立つ』とは私にはとても信じられませんが。