新型コロナウイルス感染症の流行はそろそろ収まってきそうですが‥

 新型コロナウイルス感染症は、北海道以外では新規の発生者が減ってきているようです。日本ではそろそろ収束に向かっているのでしょう。北海道だけ感染が拡大しているのは、気温が関係しているのでしょうか。そうであれば、早晩北海道でも流行は収まっていくと予想されます。

 そんな中での安倍総理の「全国の学校の休校要請」は、なかなか的確な判断だったのかもしれません。「優れた雨乞い師は、そろそろ雨が降りそうな日に祈祷する」ようなものでしょう。流行が起こっていない集団を休校させる効果は極めて少ないはずですが、結果収束すれば、政策が良かったと評価されるでしょう。

 本来本当に2週間で流行を止めるというなら、全国で一定期間一切の人の移動を制限すればいいわけですが、それを言い出せないので、とりあえず最も問題がすくない「学校」が選ばれたのだろうと思います。それにしても、この要請に対しての教師の言い分が、「試験問題を作ったばっかりだったのに‥」というのは、“小さすぎて”涙がでます。

 今回の感染症危機への対応については、本来は科学的に対応すべき問題のはずなのに、そうではない、なんとなく“文系的”な対応になっている感じがしています。

 今回の総理大臣の“要請”もそうですが、結局いろんな“対策”は必ずしも科学的に決まったものではありません。クルーズ船での対応も、「かわいそう」との声に翻弄されブレまくった結果、被害を拡大してしまったようです。

 各地の自治体の首長自らが「患者発生情報」を発表しているのも、大変違和感を感じます。本来その地域の保健所長が報告する立場のはずです。米国ではトランプ大統領がどういおうが、疾病対策センター(CDC)が「継続的感染は必ず起こる」と明言しますし、東京オリンピックの開催に関して、あるIOC委員は「開催の可否は公衆衛生の専門家が決めるべき」と発言し、政治的な希望的発言を一蹴しています。

 日本社会では普段、科学技術の専門家はあまり評価されておらず、権限もないようです。保健所長、産業医等、医師である専門家には、法律上は大きな役割が記載されていますが、所謂“ラインから外れて”いて決定的な決定権はありません。厚生労働省にはたくさんの医師がいますが、幹部の多くは医師ではなく、そもそも厚生労働大臣も専門家ではありません。国立感染症研究所の位置づけはよく知りませんが、少なくとも経済における日銀のような強い権限はなさそうです。

 そうなっている原因は“理系”側にもあります。信頼される“理系”になるためには、まずは科学的な知見が統一する必要があるでしょう。テレビでも多くの“専門家”がそれぞれいろんな意見をいっていました。本当に感染を予防するためには何が有効か、マスクは本当に役に立つのか、手洗いは何分間隔で必要なのか、明確に標準化する必要があります。

 今回の感染症に対する“文系的対策”は具体的には、国民への“呼びかけ”と、相談窓口という名の“ガス抜き”でした。勿論そうなったそもそもの理由は、治療薬がなかったことと、簡易検査キットがなかったこと、手指消毒液が十分にてに入らなかったことだと言えます。コロナウイルス感染症は今後も新型ウイルスによる感染症を起こすでしょうから、コロナウイルス全般に効果がある安全な抗ウイルス薬をつくっておく必要があります。理系の力を見せてほしいものです。

 ついでに‥。手指消毒液が不足した理由は、例年と違った消費行動だったことにあります。毎年冬にはインフルエンザも流行るのですから、たくさん手指消毒液を使うようにしていれば、特段何かが流行したときに不足することもないでしょう。手洗いをしなさいと言っても、そんなにあちこちに水道はありませんので、手指消毒液を持ち歩くほうが効果があると思います。

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